【廃墟巡り】静岡県修善寺の大仁鉱山跡に潜入|帝國産金興業の大仁鉱山跡

静岡県修善寺の大仁鉱山跡

静岡県伊豆市、修善寺にある廃墟。鉱山の跡。

江戸時代に金山として栄え、戦前・戦後は鉱山として利用された、大仁鉱山(おおひとこうざん)に行ってきました。巨大な採掘施設は草木に覆われ、今は鉱山の採掘中に湧き出た温泉を使って、大仁温泉街にジョブチェンジ。そんな修善寺の歴史に触れてみます。

帝國産金興業の大仁鉱山跡

狩野川のほとり

静岡県伊豆市、伊豆の国市との境界の狩野川のほとりに、大仁鉱山(おおひとこうざん)という山があります。昔は、大仁金山といい、金の採掘場でした。この山の入り口の斜面に立つ、象徴的な建物がこちらです。

静岡県修善寺の大仁鉱山跡

階段状の、コンクリートの壁がそびえたちます。

金山、鉱山の歴史

大仁鉱山の歴史は古く、天正年間に発見され、江戸幕府の金山奉行・大久保長安が伊豆金山の開発に注力し最盛期を迎えたものの、その後一度休山、1933年に、帝國産金興業株式會社が大仁鉱山として操業を再開します。当時の国策だそうで。1936年には一日100トンの鉱石の処理が可能な浮遊選鉱場を建設、処理した金精鉱は伊豆箱根鉄道の貨物列車で茨城県日立鉱山に運搬されました。

静岡県修善寺の大仁鉱山跡 静岡県修善寺の大仁鉱山跡

壁のようにそびえ立つ巨大なコンクリート製の施設の迫力は圧巻。

静岡県修善寺の大仁鉱山跡

鉱山から温泉へ

栄枯盛衰は人生の常。金価格の低迷や人件費の上昇、施設の老朽化などで採掘は小休止を繰り返し、1973年に正式に閉山しました。

静岡県修善寺の大仁鉱山跡

ただ、大仁鉱山の歴史はこれで終わりではありません。時代はすこし戻り、1935年、坑内をボーリングした際、偶然にも温泉が湧出。この温泉を利用し、観光客向けにも開放した「帝産閣」と呼ばれるヘルスセンターをオープンしました。戦後、この温泉は帝産閣と大仁ホテル以外の周辺宿泊施設にも供給されるようになり、大仁温泉街が形成されるようになります。施設の上部にも「温泉村」との文字が確認できます。

静岡県修善寺の大仁鉱山跡

廃墟ファン、鉱山ファンには有名

戦前に作られたヘルスセンターも含め、2000年頃までは鉱山施設の多くが廃墟として残されていました。この大仁鉱山跡は、狩野川のそばと交通の便がよく、巨大コンクリート施設の珍しさと壮大さで廃墟ファンや鉱山ファンには有名だったそうで。現在は浮遊選鉱場や変電所などの鉱山施設のほとんどが残っていないため、訪れるファンも少ないのかな。

静岡県修善寺の大仁鉱山跡

今は目の前に、温泉施設「伊豆温泉村」が「時之栖 百笑の湯」を運営しており、温泉街として復活しています。伊豆縦貫道からのアクセスがよく、また修善寺の近くのため、修善寺旅行で疲れた体を癒すにはちょうどいい施設で結構人気あり。

静岡県修善寺の大仁鉱山跡

廃墟観光には十分ご注意を

廃墟とはいえ施設・建物は管理されており、無断侵入や破壊・損壊行為は法律上禁じられています。また、施設が古く、安全が担保されていない状態の恐れがあり、ケガをする可能性もあります。公道から外見のみの見学をおすすめします。地域の方々にご迷惑にならないようご注意ください。

静岡県修善寺の大仁鉱山跡

帝國産金興業の大仁鉱山跡

・名称  :帝國産金興業大仁鉱山跡
・住所  :〒410-2412 静岡県伊豆市瓜生野382
・電話番号:-
・営業時間:-
・定休日 :-
・入館料 :-
・HP    :-

帝國産金興業の大仁鉱山跡へのアクセス

まとめ

修善寺にある廃墟、「帝國産金興業の大仁鉱山跡」を見に行ってきました。山の斜面に残る、鉱山施設のコンクリート製の基礎は、巨大で圧巻でした。江戸時代は金山として、戦前戦後は鉱山として、そして現代は温泉街と、時代とともにジョブチェンジしつつも繁栄し続けてた大仁。次に修善寺に出かけたときには、人気施設の「時之栖 百笑の湯」に寄ってみようかな。

静岡県修善寺の大仁鉱山跡

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