北条早雲の旗揚げの城、「興国寺城跡」に行ってきた|続日本100名城 No.145

興国寺城跡

戦国大名・北条早雲の初の“持ち城”といわれているのが、今回訪れた「興国寺城」です。交通の要衝であり、後の伊豆討入りにも利用された歴史的遺産です。続日本100名城にも選ばれた城跡に行ってみましょう。

戦国時代の名城跡、北条早雲旗揚げの地

JR原駅より北、東海道新幹線のそば

場所は静岡県沼津市、JR原駅より2.5km、東海道新幹線が近くに見える場所に位置する丘の上です。バスか車で来ることになると思いますが、場所がわかりにくいです。以下の写真のT字路を、丘の上の方向に曲がってください。もう少し案内板などがあると親切なのですが・・。徒歩では原駅から30分以上かかると思いますので、公共交通機関のご利用をおすすめします。

興国寺城跡

少し丘を登ると、駐車場らしきものがありましたので、ここに止めました。

興国寺城跡

近くの道路に設置されていた看板です。これから詳しくご紹介しますが、城跡はほとんど整備はされていません。続日本100名城にも選ばれたのでこれから整備をするとの話もあります。期待したいです。

興国寺城跡

規模の大きい空堀・土塁はいまでも健在

城跡とはいえ、特に構造物は残っていないと聞いていたのでそこまで期待はしていませんでしたが、現地に着くと城の土塁の跡を見て取れます。高さは3~4mといったところでしょうか。

興国寺城跡
興国寺城跡

土塁の上に登って撮影してみました。

興国寺城跡

高台の先端に位置するだけあり、とても眺めが良いです。駿河湾も見えますね。

興国寺城跡の歴史

少しお勉強を。この城は北条早雲が初めて城主となった有名な城です。彼は今川家の相続争いをまとめた功績により、この城を与えられ、その後伊豆国の領主となって韮山城に移り戦国大名へと成長しました。

興国寺城跡

韮山城跡も以前行ったことがありますね。ここも全く整備されていなかった遺跡スポットです。もう少し見せ方の工夫をしてほしいです。

リンク歴史のロマンを求めて、伊豆の韮山城跡に行ってきた

で、その後ですが、この城は駿河・甲斐・伊豆の境目に位置していたので、今川・武田・後北条氏の争奪戦の渦中におかれました。武田の城となったり、徳川方の城となったり、豊臣秀吉の武将の中村一氏の家臣が城主となったりとコロコロ変わります。関ヶ原の合戦後には、天野三郎兵衛康景が城主となりましたが、康景の逐電(姿をくらますこと)により廃城となりました。交通の要であることは今も昔も変わりはないですね。

城跡の前にあるのは「根古屋高尾山穂見神社」。高尾山穂見神社の分祀との言い伝え。

興国寺城跡

神社の奥に土塁に登れるルートがあるので、行ってみましょう。

興国寺城跡

こちらが天守台の石垣です。まだ現存していることに驚きです。

興国寺城跡

そこから少し登ると天守台跡です。これが跡だとすると、建物の規模はかなり小さいと思われます。見張り台程度ですかね。まぁ、海まで見れるのでこれで十分かと思います。天主跡の北側には約15mもの大きな空堀もあります。これがしっかり残っているのは素晴らしいです。

興国寺城跡

城跡はほとんど整備されていないので足元にはご注意を。10m以上の高さから落ちますよ。とは言え山登りのフル装備は不要です。スニーカなどの歩きやすい靴と虫よけスプレーがあれば十分です。

興国寺城跡

「興国寺城跡」の詳細

・名称  :興国寺城跡(こうこくじじょうあと)
・住所  :〒410-0309 静岡県沼津市根古屋428
・電話番号:-
・営業時間:-
・定休日 :-
・入館料 :-
・駐車場 :あり。無料。
・HP    :-

「興国寺城跡」へのアクセス

城跡巡りまとめ

今回ご紹介した「興国寺城跡」以外にも、過去に何か所が城跡に訪れています。話に出た韮山城も去年行きましたね。城跡好きな方は、こちらもご覧ください。

リンク歴史のロマンを求めて、伊豆の韮山城跡に行ってきた

リンク半日で落城した悲劇の城、山中城跡に行ってきた

まとめ

北条早雲の最初の居城跡、「興国寺城跡」へ行ってきました。ド派手な城があるわけではありませんが、天守台の石垣と本丸の土塁が現存しており、過去の様子を想像することはできました。土塁の高さと堀の深さは全国的にも有名だそうです。歴史好きな方はぜひ一度訪れてみてください。

興国寺城跡

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